【作家ステートメント】

 QusokuzeShikiは、仏教思想における命題「空即是色(Emptiness is Form)」を基盤に、美術における作家性、構造、時間性、儀式性といった主題を横断的に再構成する試みである。作品の美術的価値は、今日のアートにおけるいくつかの問題に対して、形式的・思想的に応答する構造にある。

 QusokuzeShikiが制作する作品の制作メンバーはすべて匿名であり、作品プロジェクトごとに流動的に編成される。
 これは20世紀モダニズム以後の「作家性」を主軸とする作品観からの意図的逸脱である。ローラン・バルトが『作者の死』(1967)で提起したように、テクストの意味は読者によって多元的に解釈されるべきであり、私たちはこの構造を作品制作そのものに転写している。
 作家ではなく“構造”が作品を規定するというこの視点は、リレーショナル・アート以降の議論とも共鳴するが、私たちはそこにアジア的な宗教哲学─「空」という不可視の総体性─を導入することで、西洋的理性の文脈を相対化している。

 また、私たちの作品は、伝統的な日本工芸技術と、3Dスキャンやデジタルモデリングといった先端技術を融合して制作される場合が多い。この技法的交差の重要性は、単なる「伝統と現代の融合」という表層的価値にとどまらず、「異なる時間の物質的共在」を視覚化する点にある。過去に属する技術と、未来に属する技術を同一の構造上に並置することにより、作品は時間軸を直線的にではなく、非同期的・多層的に提示する。これは近代的美術制度のもとで想定されてきた「進歩史観」への批判として機能する。

 視覚構成においては、非対称性、反転、不可視性といった要素を多用する。
 例えば「戦国合戦図将棋〜川中島〜」の盤面裏に彫刻された「血溜まり」や「黄龍」は、見ることはできないがそこに確実に“ある”という不可視の存在である。
 駒置き台に見られる「逆さ独鈷」の意匠は、江戸期建築における「逆柱」の思想─完成と崩壊の同時性─を踏襲しており「未完の構造=永続の契機」として機能している。
 これらは、合理性と視認性を最上とする近代デザインの価値観に対する内在的批評であると同時に、知覚の枠組みそのものに疑義を突きつける装置でもある。

 このように、QusokuzeShikiの制作実践は、単なる作品制作ではなく、美術史的文脈、宗教的象徴体系、技術史的変遷、そして認識論的構造への複数的介入を意図している。視覚芸術として立ち現れる「色(実体=作品)」は、不可視の「空」すなわち関係性、制度、構造、時間、思想といった抽象度の高い層の集積から析出された結果であり、恒常的な実体ではなく、関係性のゆらぎが結する点─それこそが、私たちが「空即是色」と呼ぶ構造の中で捉えている美術的価値である。

2025.6.13
空 即 是 色(QusokuzeShiki)